毒にも薬にもならない意見を言う気になるには、この問題は自分の中で重大すぎる。言いたいコトを言わせてもらう。そのためのサイトだし。

別に中二病とか、知ったつもりになってるだけとか言われても全然構わないんで、あえて言わせて頂く。

私は基本的に井上敏樹脚本が大嫌いだ。
別に「○○が△△なのは脚本家のせいじゃない」とかいう話を飲み込めないわけじゃない。そこまでは脚本家でも口出しできないから別のスタッフの責任だろう、とか。

ただ、井上敏樹脚本の回は"誰が本当に悪いのかは知らない"が私には合わない。

井上のせいじゃないかどうかは関係ない。ジンクスみたいなもんだとしてもいい、井上脚本の回=つまらん公算があまりにも高い、というのは私の中でもう何度も何度も確認されてしまってもう拒否反応が出てきた。


ワンパターンなかつ灰汁の強すぎるキャラクター、現実的でなさ過ぎる諍いや争い、しかもそれがメインストリームになって話を動かすもんだからあちこちでボロが出る。しかしそのボロは修正するどころか無視。

主役の強化劇は「天井から新武器が」「宅急便で新武器が」そして使い方はなぜか初めから知っている。

こんなのをもう(俺が知っている限りでも)ファイズの時から変わらず書き続けているのだ。ファイズの時から肌に合わないのは当然だ、だってその頃から変わらないんだから。



俺は彼が1年担当したファイズはそこそこ好き、というか放送中はもう同じ話を何度見るのか、というくらい好きだった。まぁ殆ど戦闘シーンだったけど。
中盤以降、前半で互いを知らないまま憎み合っていた木場と巧が和解、共闘するという流れがとても楽しみだった。


だがその期待は脆くも崩れ去った。草加の陰謀、下らない伝言の行き違いでまたしても「本当は分かり合えるのに、憎みあう」関係に戻ってしまった。

ガッカリした。けどこれがファイズの味なんだと思って飲み込んだ。
しかしながら流石に最後まで見て「え?これで閉めなの?」と思ってめちゃくちゃ悔しくなった。何でこんな終わり方を与えられてしまったのかと。聞けば(俺は見ていないから責任はもてないが)同じくヤツが1年担当してたアギトとほとんど変わらない投げっぱなしと言う、余計に腹が立った。


そして、ブレイドの「ティターンが剣崎や睦月になりすましてさぁ大変」という回があった。まただ。またこの不愉快さを味わっているのだ。

「仲間割れ話を作って」という依頼だったからそうしたのかも知れない。勘違い仲間割れ話の発端は井上のせいではないかも知れない。
でももうそんな気を回すのも疲れた。どうでもいい。井上が書いていていつも通りの不快な話ならそれだけで私が井上を嫌う理由としては十分だ。
ファイズの前年の龍騎の場合は、小林靖子+井上というコンビの展開が気に入っていて、特に小林靖子のまとめ方(テレビ版最終回)も気に入っていたし、ラストに向かって収束していくなかでアクセントとして井上の脚本の回がいいバランスを生んでいたと思う。小林だけでも鬱々としてしまうだろうし。

また劇場版は毎年恒例のように井上が脚本を担当していたが、これは私的には喜ばしかった。あえて言えばお祭り、とも言える劇場版においては、ハッタリでも盛り上がりを見せてくれる井上脚本はピッタリだったと思う。パラダイスロストなんかはまさに井上のいいところがバッチリ生きていて、すばらしいと思った。ミッシングエースは密度の濃いアクションシーンに圧倒された。


で、今年の「七人の戦鬼」。これは、正直響鬼という作品では井上の良い部分が見えないというか、まぁぶっちゃけ「合ってない」と感じた。
劇場版の井上脚本は好きだけど、響鬼にはちょっと当てはまらなかったというか。なんつか響鬼の悪く言えば地味な部分と、井上の適当なストーリー、パターン化した仲間の裏切り、が渾然一体となってしまったという印象。
カブキのキャラ自体は気に入った。ソフビも買ってきたし。



で、昨日そんな気分になって、今日の朝はテレビで井上脚本響鬼を見たわけだ。


正直に言おう。まだ途中までしか見てない。というか、オーバーに思われるかも知れないがこの作中のサムい空気に15分も耐えられない。


私はファイズ全編、ブレイドティターンで仲間割れ話(ファイズなんかは1年間井上だったからだけど)の整合性のない、ハッタリだけのライダーに飽きてしまっていた。そこを、響鬼のゆっくりすぎるかも知れないけど、それと同じくらい拘りの行き届いた設定、考証、そして井上の時には必ずいた「物語上、人を不快にさせるべくしてしているキャラクターがいないこと」から安心して見られる点、楽しめる部分に拾ってもらったという思いが強いわけで。

もちろん商業活動として、バンダイはおもちゃを売りたいし、それを製作側に求めるのは当然だ、金出してるんだし。でも、その「改善策」は、毎年同じ、それで改善された例など殆どない、そんな予定調和の策で響鬼が半年かけて作ってきた魅力を踏み荒らさないでいただきたい。


「おもちゃが売れないから(が全部かどうかは知らないが)Pだの脚本だのを変えて、路線変更する」っていう策はよくもまぁ懲りずにやっているが、今までどれだけ効果があったのか聞いてみたいものだ。


もちろん上記で長ったらしく書いているように、井上脚本全否定するつもりはない。ただ、劇場版響鬼には合わなかったし、長いテレビシリーズ書かせるには悪いけど「タイプが違うか能力がない」と思うだけ。



井上脚本と言うだけで叩いてる、知らずに見ていたらいつもどおり褒めていたはずだ。」って意見も、イヤというほど今日は見たけど、今日の放送見て今までとの毛色を感じ取れないなら多分眼と観察力が腐ってるんだと思うよ。




これは井上に関係ない話。
おそらくバンダイあたりの要請だと思うのだが、「夏には弦、管の鬼にも太鼓を使わせる」太鼓祭には若干の違和感を感じていた。太鼓の鬼は太鼓のプロ、他の音撃は他の鬼に任せる、ってのが自然だと思ってたから。

太鼓だから派手さに欠けて売れないというのなら、ハデにする努力、魅せ方を変える工夫をしようという方向になんで行かないかね。アームド響鬼もかなりムチャだが、魅せ方次第では今までの雰囲気の中でもカッコヨク見せられるはずだ。



で?あれで太鼓売れたのか?



まとめると、

・(テレビシリーズの)井上脚本は、嫌い好き以前にすでに拒否反応が出ているので、若干自分でもヒステリックになっているとは感じている。

・白倉・井上自体よりも、こうも容易く懐事情に反応して無意味なテコ入れをしてくるバンダイのがよほどウザいとは思っている。

ブレイドのたこ焼き話とかのくだらなさは許容できる、響鬼も単発話ならいい。
だが、今後井上がメインでやっていくなら、もう響鬼は見ない。

乱文失礼しやした。